ペコ [ゴロ助]
ども、ごろすけでしゅ。
ペコはびょうきでちた。
「心臓の出入口付近に腫瘍があり、内部にもあるため動脈が塞がれ、酸素が不足し呼吸が乱れ、肺高血圧症になり、胸とお腹に水が溜まっている」じょうたいでしゅ。
せんせいのくちから「余命」ということばはなかったけど、いんたーねっとでしらべるかぎり、あまりのぞんでいないじょうきょうのようでしゅ。
「外科手術は不可能。放射線治療をするにも、麻酔で呼吸が止まる恐れがあるため現状では無理。効くかどうかわからないけど、何種類かの薬を投薬してみる」ということしができましぇん。
それがわかったのが“2日の夜”。
いつものびょういんが“休診日”だったので、きんじょのびょういんへ。
ばあばもようじがあったんで、ゆうがたにつれていったんだけど、こんなひどいじょうきょうだったとは…。
がまんさせてごめんね、ペコ。
いいおとなだし、ぐっとこらえて、かぞくのまえではがまんしてたけど、じいじはふろばでないたようでしゅ。
ぼくちんのばあい、いろんなびょうきをして、としもとしだし、かくごをしていたようにゃんでしゅが、「万が一、ゴロ助に何かあった時は、ペコに慰めてもらうしかないよな」なんておもってたじいじだったんで、まさか、ぼくちんよりさきに…、ぼくちんだっていつどうなるかわからにゃいのに…とおもうと、こころがひどくみだれたようでしゅ。
よくじつ、たいいんできるように、じいじはしごとのあいまで“酸素ハウス”のれんたるをし、はやめにたいしゃし、“酸素ハウス”をくみたて、
びょういんにいるペコをむかえにいきまちた。
おくすりをもらい、
さっそく、“酸素ハウス”せいかつ。
さんそりょう、はうすのおんどのちょうせいがきになるし、はうすはすべるから、なんとかしてあげなきゃだし。
そんな、こころがおちつかないじいじでしゅが、おちごとに“公私混同”はきんもつ。
ぐっとこらえて、おしごとにしゅうちゅう。
いっぽう、ばあばは、ペコのおせわにしくはっく。
はじめてのことだらけだから、なおさらたいへん。
しかも、“血尿”がでたんで、びょういんにいったり、ペコのおしっこをさいしゅしたり。
さらに、せんめんだいがみずもれしたり(なぜこんなときに!)、ひめもあたまがいたいとかいって、はなみずをたらしたり…もうだいこんらん。
そんなじょうきょうなのに、じいじはきのう(4日)のよるから、とうきょうへしゅっちょう。
しごとだからしかたがないけど…たいみんぐわるすぎ。
そのじいじでしゅが、ひとけのすくない、よるのくうこうのろびーでひこうきをまってると…うかぶのはペコのことばかり。
とうきょうなんかへいかず、おうちにもどってペコにあいたいけど…がまんがまん。
そちて、きょうも、ばあばはこぐんふんとう。
じいじはかすみがせきのおやくしょでおちごとをし、ひこうきにのるまえに、ぼくちんがびょうきになったときに、おまいりして、おまもりをかってきてくれたじんじゃへとんでいき、こんかいも、おいのりちて、おまもりをかって、かえってきまちた。
じいじがもどってきたときには、ペコはたいいんしたときより、きもち、げんきになったかにゃ。
でも、しょくよくはあまりないち、おくすりもいやがるし。
なおすために、どっちもだいじにゃんだから、ペコ、がんばって。
こんなじょうきょうなのんで、ぶろぐをかくかどうかなやんだけど、かなしいきもちも、くるしいきもちも、ここすうじつ、いろんなきもちがあったけれど、そのきもちはときをへて、いつかきえてなくなってしまうので、かくことで、きろくとしてのこしておかないとだめじゃないかなと。
いつか、きもちのせいりができても、あのときのペコへのおもいはうそいつわりはなく、ふりかえってみたときに、かならず、こころにペコがあらわれるはずなんで。
じいじにかかせることもかんがえたけど、ぼくちんがかけるうちは、ぼくちんがかこうかなとおもっているので、あすいこうも、どうぞよろしくおねがいちましゅ。
フレンチブルドッグひろば
ペコはびょうきでちた。
「心臓の出入口付近に腫瘍があり、内部にもあるため動脈が塞がれ、酸素が不足し呼吸が乱れ、肺高血圧症になり、胸とお腹に水が溜まっている」じょうたいでしゅ。
せんせいのくちから「余命」ということばはなかったけど、いんたーねっとでしらべるかぎり、あまりのぞんでいないじょうきょうのようでしゅ。
「外科手術は不可能。放射線治療をするにも、麻酔で呼吸が止まる恐れがあるため現状では無理。効くかどうかわからないけど、何種類かの薬を投薬してみる」ということしができましぇん。
それがわかったのが“2日の夜”。
いつものびょういんが“休診日”だったので、きんじょのびょういんへ。
ばあばもようじがあったんで、ゆうがたにつれていったんだけど、こんなひどいじょうきょうだったとは…。
がまんさせてごめんね、ペコ。
いいおとなだし、ぐっとこらえて、かぞくのまえではがまんしてたけど、じいじはふろばでないたようでしゅ。
ぼくちんのばあい、いろんなびょうきをして、としもとしだし、かくごをしていたようにゃんでしゅが、「万が一、ゴロ助に何かあった時は、ペコに慰めてもらうしかないよな」なんておもってたじいじだったんで、まさか、ぼくちんよりさきに…、ぼくちんだっていつどうなるかわからにゃいのに…とおもうと、こころがひどくみだれたようでしゅ。
よくじつ、たいいんできるように、じいじはしごとのあいまで“酸素ハウス”のれんたるをし、はやめにたいしゃし、“酸素ハウス”をくみたて、
びょういんにいるペコをむかえにいきまちた。
おくすりをもらい、
さっそく、“酸素ハウス”せいかつ。
さんそりょう、はうすのおんどのちょうせいがきになるし、はうすはすべるから、なんとかしてあげなきゃだし。
そんな、こころがおちつかないじいじでしゅが、おちごとに“公私混同”はきんもつ。
ぐっとこらえて、おしごとにしゅうちゅう。
いっぽう、ばあばは、ペコのおせわにしくはっく。
はじめてのことだらけだから、なおさらたいへん。
しかも、“血尿”がでたんで、びょういんにいったり、ペコのおしっこをさいしゅしたり。
さらに、せんめんだいがみずもれしたり(なぜこんなときに!)、ひめもあたまがいたいとかいって、はなみずをたらしたり…もうだいこんらん。
そんなじょうきょうなのに、じいじはきのう(4日)のよるから、とうきょうへしゅっちょう。
しごとだからしかたがないけど…たいみんぐわるすぎ。
そのじいじでしゅが、ひとけのすくない、よるのくうこうのろびーでひこうきをまってると…うかぶのはペコのことばかり。
とうきょうなんかへいかず、おうちにもどってペコにあいたいけど…がまんがまん。
そちて、きょうも、ばあばはこぐんふんとう。
じいじはかすみがせきのおやくしょでおちごとをし、ひこうきにのるまえに、ぼくちんがびょうきになったときに、おまいりして、おまもりをかってきてくれたじんじゃへとんでいき、こんかいも、おいのりちて、おまもりをかって、かえってきまちた。
じいじがもどってきたときには、ペコはたいいんしたときより、きもち、げんきになったかにゃ。
でも、しょくよくはあまりないち、おくすりもいやがるし。
なおすために、どっちもだいじにゃんだから、ペコ、がんばって。
こんなじょうきょうなのんで、ぶろぐをかくかどうかなやんだけど、かなしいきもちも、くるしいきもちも、ここすうじつ、いろんなきもちがあったけれど、そのきもちはときをへて、いつかきえてなくなってしまうので、かくことで、きろくとしてのこしておかないとだめじゃないかなと。
いつか、きもちのせいりができても、あのときのペコへのおもいはうそいつわりはなく、ふりかえってみたときに、かならず、こころにペコがあらわれるはずなんで。
じいじにかかせることもかんがえたけど、ぼくちんがかけるうちは、ぼくちんがかこうかなとおもっているので、あすいこうも、どうぞよろしくおねがいちましゅ。
フレンチブルドッグひろば